「山へよする」 4
現在この歌を刻んで湯涌のお薬師には、夢二生誕100年(昭和56年)を記念する文学碑が建てられています。
しかし、夢二と引き離された彦乃は、大正9年、夢二とはついに会うことなく病から他界しました。
今もお元気な、夢二の二男不二彦氏の言によれば、夢二の残された遺品の指輪には、彦乃の死んだ日付と二人の名前が刻まれているということです。
彦乃が死んだ時、もはや夢二自身の人生もそこで終わったと感じたからでしょう。
夢二はまた、自伝小説「出帆」(昭和2年)や「日記」の中においても、当時の湯涌温泉のことをいろいろと書いています。
これがまたおもしろいのです。
たとえば「日記」で湯涌に到着した日のことは、まず
「ほんとに湯元というよりももっと湯わくといふ方が原始的な、さうした所であった」と記入。
宿については、入口に山下新兵衛と書かれたのれんを下げ「あがりがまちに大きないろりがあってそこに大きなかまがさげてある。
『田舎のおばさんとこへいったやうね』ほんとだ」
・・・などと書いています。
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