「花筐」 4
長く会わなかったこともあったとはいえ、達治はあまりにもアイを偶像化、神聖化しすぎていたのです。
しかし達治は三国に残りました。
しかも荒蓼たるそのさびしい風景とともに、昭和24年まで、まる5年をここで過ごしたのです。
そして詩作に専念、さらに詩集『故郷の花』(昭和21年)や『砂の砦』(同)を出しました。
戦後の再出発を飾った詩集『酪駝の瘤にまたがって』(昭和27年)も、その想は、三国時代に得たものといわれています。
・・・達治とアイがよく散歩したという松林の道は、現在「荒磯遊歩道」の名がつけられています。
ここは観光客の間でもなかなかの評判です。
しかも、静かな松風と海鳴りの響く中を点々と文学碑が続く、浜の方から・藍がめのように静かな海に向かい、高見順の、そして達治の詩碑が並んでいます。
目もくらむような東尋坊を眼前にしては、高浜虚子の句碑が、門弟森田愛子、伊藤柏翠それぞれの句碑に支えられるようにして立っています。
道のりもおよそ1キロばかりで、歩くのには絶好のプロムナードです。